MENU

中華思想と周辺民族の関係

中華思想(華夷思想)とは、中国が「文明の中心(華)」であり、それ以外の地域や民族を「夷狄(未開の民)」と見なす思想です。この考え方は、古代から近代にかけて中国の対外認識や外交政策に大きな影響を与えてきました。


目次

1. 中華思想の基本概念

(1) 中華(華夏)と夷狄

  • 「華夏(かか)」:古代中国人が自らを指した言葉で、「文明の中心」という意味を持つ。
  • 「夷狄(いてき)」:周辺の異民族を指す言葉で、「野蛮な民」として扱われた。
    • 東夷(とうい):東方(現在の朝鮮・日本)の民族
    • 南蛮(なんばん):南方(ベトナム・東南アジア)の民族
    • 西戎(せいじゅう):西方(チベット・中央アジア)の民族
    • 北狄(ほくてき):北方(モンゴル・満洲)の民族

このように、中国を中心とした「文明」と、それ以外の「野蛮」な世界という対比が中華思想の基本的な枠組みになっています。

(2) 「華夷秩序」

  • 中国(皇帝)が世界の中心であり、周辺国は「朝貢(貢ぎ物を納める)」を行うことで、中国の「冊封体制(宗主国-属国関係)」に組み込まれる。
  • 「夷狄も中国の文化を受け入れれば文明化される(夷狄化すれば華となる)」という考え方がある。

2. 中華思想と周辺民族の関係

中国王朝と周辺民族は、単に「文明 vs 野蛮」という関係ではなく、時代によって変化しました。以下に、代表的な民族ごとの関係をまとめます。

1. 東夷(とうい):東方の異民族

意味と語源

  • 「夷(い)」は「弓を持つ人」を表す象形文字であり、もともとは弓を使う民族という意味があった。
  • 「東夷」は、中国の東方(現在の朝鮮半島、日本、山東半島周辺)に住む民族を指す。
  • 古代中国では、東夷は「文化が未発達である」と見なされることが多かった。

主な対象民族

  • 古代の山東半島・遼東半島の民族(例:淮夷、莱夷)
  • 朝鮮半島の民族(例:高句麗、百済、新羅、扶余)
  • 日本列島の民族(例:倭人)

特徴

  • 「夷」は、文化的に劣るものと見なされることもあったが、一方で農耕や漁撈(ぎょろう)に優れた民族として記録されることもあった。
  • 中国の影響を強く受けた朝鮮や日本は、中華思想のもとで「文明化した夷」として扱われることがあった。
  • 朝鮮半島
    • 漢(前108年)、高句麗(前1世紀~668年)、新羅(668年~)、李氏朝鮮(1392年~1897年)など、多くの時代にわたり中国の影響を受け、冊封体制に組み込まれる。
    • 特に李氏朝鮮は、明・清に対し朝貢を行い、儒教文化を受け入れた。
  • 日本
    • 5世紀ごろ、倭の五王が南朝(宋)に朝貢。
    • 7世紀の遣唐使を通じて、中国の律令制度や文化を取り入れた。
    • 15世紀の足利義満時代には明と勘合貿易を行うが、その後は独自の道を歩む。

朝鮮は中華秩序に従順だったが、日本は距離を置く傾向があった。


2. 南蛮(なんばん):南方の異民族

意味と語源

  • 「蛮(ばん)」の字は「虫が多い」という意味があり、中国では未開の地や風習が異なる民族を指す言葉として使われた。
  • 「南蛮」は、中国の南方(現在のベトナム、タイ、ミャンマー、ラオス、カンボジア、マレーシアなど)に住む民族を指す。
  • 中国から見ると、南方の民族は森林・湿地帯に住み、独自の文化や言語を持っていた。

主な対象民族

  • ベトナムの越族(百越・南越)
  • 東南アジアの諸民族(シャム人・ビルマ人・クメール人)
  • 中国南部の少数民族(ミャオ族・チワン族など)

特徴

  • 南方の民族は、しばしば「野蛮で文化が低い」と見なされたが、実際には独自の高度な文明を持つ国(例:ベトナムの李朝、タイのアユタヤ朝)もあった。
  • 南蛮貿易(16~17世紀)では、日本や中国に西洋の技術(鉄砲、キリスト教)をもたらしたポルトガル・スペインも「南蛮」と呼ばれた。
  • ベトナム
    • 漢代から唐代にかけて直接統治される(前漢による南越国征服、唐の安南都護府)。
    • 10世紀以降は独立し、李朝(1009~1225)、陳朝(1225~1400)などの王朝が中国風の統治を採用。
    • 明(1407年)が一時的に占領するが、独立を維持しつつも冊封体制には参加。
  • 東南アジア諸国(タイ・ミャンマー・カンボジア・マレーシア)
    • 唐以降、交易関係を重視し、朝貢を通じて中国文化を受け入れるが、独自の文化も保持。

ベトナムは強い影響を受けたが、東南アジアはゆるやかな関係。


3. 西戎(せいじゅう):西方の異民族

意味と語源

  • 「戎(じゅう)」は「武器を持つ人」という意味があり、西方の遊牧民や戦闘的な民族を指した。
  • 「西戎」は、中国の西方(現在のチベット、シルクロード周辺、中央アジア)に住む民族を指す。

主な対象民族

  • チベット系民族(吐蕃・羌族)
  • 中央アジアのトルコ系民族(突厥・回紇)
  • ペルシア・西域の諸民族(ソグド人・パルティア人)

特徴

  • 西方の民族は、しばしばシルクロードの貿易を支配し、中国と西方世界(インド・ペルシア・ローマ)を結ぶ役割を果たした。
  • 唐と吐蕃(チベット帝国)は長い間対立したが、時には婚姻外交(文成公主と吐蕃王の結婚)も行われた。
  • 唐・宋時代には、シルクロード交易を通じて文化・宗教(仏教・ゾロアスター教・マニ教・イスラム教)が中国に流入した。
  • チベット
    • 唐(7世紀)と吐蕃(とばん)が対立し、婚姻外交(文成公主の嫁入り)を行う。
    • 清代に理藩院を通じて間接統治され、ダライ・ラマを認定する体制に。
  • 中央アジア(ウイグル・トルキスタン)
    • 唐代には安西都護府を設置し、シルクロードを支配。
    • 元(モンゴル帝国)時代にはイスラム化が進み、清が征服(18世紀)するが、独立志向が強い。

中国の影響を受けたが、独自の宗教(チベット仏教、イスラム)を保持。


4. 北狄(ほくてき):北方の異民族

意味と語源

  • 「狄(てき)」は、「犬のような民族」という意味があり、侮蔑的な意味合いが強い。
  • 「北狄」は、中国の北方(現在のモンゴル・満洲・シベリア)に住む遊牧民族を指す。
  • 中国にとって、北方の遊牧民族は最大の脅威であり、しばしば戦争が発生した。

主な対象民族

  • 匈奴(前3世紀~1世紀):漢と対立し、最終的に分裂。
  • 鮮卑(2~5世紀):北魏を建国し、漢化政策を推進。
  • 契丹(10~12世紀):遼を建国し、北宋と対立。
  • 女真(12~13世紀):金を建国し、宋を圧迫。
  • モンゴル(13~14世紀):元を建国し、中国全土を支配。
  • 満洲(17~20世紀):清を建国し、多民族統治を行う。

特徴

  • 北方民族は、機動力に優れた騎馬民族であり、中国王朝と戦争を繰り返した。
  • しかし、彼らが中国を征服すると、次第に漢化し、儒教や科挙を採用することが多かった。
  • 「北狄」は侮蔑的な意味が強かったが、元(モンゴル)や清(満洲)のように、中国全土を支配することもあった。

北方の遊牧民は、中国と最も対立しつつも、しばしば中国を支配した。

  • 匈奴(前3世紀~1世紀):漢と対立、武帝が討伐。
  • 鮮卑(2~5世紀):北魏を建国し、漢化政策を推進。
  • 契丹(10~12世紀):遼を建国、二重統治制度を採用。
  • 女真(12~13世紀):金を建国、宋を圧迫。
  • モンゴル(13~14世紀):元を建国、中国全土を支配。
  • 満洲(17~20世紀):清を建国、多民族統治を行う。

北方民族は「中華思想」を受け入れつつも、しばしば中国を征服した。


3. 近代以降の変化

  • アヘン戦争(1840年)以降、西欧列強が中国を圧迫し、中華思想が揺らぐ。
  • 朝鮮・ベトナム・琉球の離脱(19世紀):冊封体制が崩壊。
  • 辛亥革命(1911年):清が崩壊し、近代的な国家へ移行。

→ 近代以降は「中華思想」より「民族国家」としての中国意識が強まる。


4. まとめ

地域中華秩序への関係
朝鮮最も忠実に従った(儒教・冊封)
日本受け入れつつも独自路線
ベトナム影響を受けつつも独立を維持
東南アジア交易を重視、独自文化を保持
チベット・中央アジア一部影響を受けつつも独自宗教を維持
北方民族しばしば中国を征服

結論

中華思想は単なる「中国中心主義」ではなく、柔軟な外交・統治戦略と結びついた歴史的概念だったと言える。特に、北方民族はしばしば中国を征服し、「夷狄が華となる」現象を何度も繰り返してきた。

名称方向対象民族特徴
東夷(とうい)東方朝鮮・日本・山東半島の民族文化的に影響を受けつつ独自の発展を遂げた
南蛮(なんばん)南方ベトナム・東南アジアの民族中国の影響を受けたが、独自の国家を形成
西戎(せいじゅう)西方チベット・中央アジアの民族貿易・宗教交流を通じて中国と関係
北狄(ほくてき)北方匈奴・鮮卑・契丹・モンゴル・満洲中国と対立しつつ、時に征服して漢化
  • これらの呼び名は、単なる地理的な分類ではなく、中国王朝の世界観(「中華=文明」「夷狄=野蛮」)を反映していた。
  • しかし、歴史が進むにつれ、これらの異民族は中国の文化を受け入れ、時には中国を支配するようになった。
  • 近代以降は、中華思想より「民族平等」の概念が強まり、これらの言葉は歴史用語として扱われるようになった。

このように、「東夷・南蛮・西戎・北狄」は、中国の対外認識を表す重要な概念であり、中国と周辺民族の歴史を理解する上で欠かせないものとなっている。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次